貴女は今は生きているのかな?

もう亡くなってしまったのだろうか?

私は貴女を止めるつもりはない。

貴女は人間に残された唯一の自由である「生死」を

自分で行使する権利がある。

人間に生の責任などない。

親に子を育てる義務もない。

残された者達への憐憫の情の無意味だ。

どうせ、他人に自分の気持ちは理解できない。

それが愛する人であろうと、親であろうと、子であろうと。


人は一人で生まれ、一人で死んでいく。

それが少し早くなっても構わない。


ただ、死を振り回すことは「死」を冒涜することになる。

死はおもちゃではない。

依頼

2004年4月10日
吉田は、放送業界に属する人間「だった」。

今は違う。

ラジオ放送関連の制作プロダクションに所属していた頃に私は彼と出会った。

当時の私は、ネット関連の仕事であれば業種を拘らずに、あらゆる人と会った。

そのときに吉田に会った。

軽薄そうな雰囲気であったが、地味な性格が災いし、印象の薄い存在としか見えなかった。

私もドロップアウトし、彼もフリーになり、しばらくはメールで挨拶などやり取りもしたが、次第に疎遠になっていった。

噂では、パチンコや風俗の業界の広告関連やネット関連の仕事をするようになっていったと聞いていた。

その「彼」が私に会いたいと連絡してきたのだ。


春とはいえ、日差しは初夏のものと同じようにジリジリとアスファルトを照らしていた。

私の窓からは表通りの歩道が見えた。

吉田はそこを汗を拭きながら、現れた。

吉田は歩道をせかせかと歩いていたが、ふと立ち止まり、きょろきょろと周りを見回し、私のオフィスのある雑居ビルに入っていった。



「久しぶりですね、吉田さん」

「いや、ほんとだね」

「2年ぶりじゃないですか?」

「そうかもしれない。元気してたかい?」

私たちは、あたり差しさわりのない会話を続けていた。
私には吉田が、世間話しや、思い出話をする為に来たとは思えなかった。
ましてや、警戒しながらここに入ってくる吉田の姿に、
ただならぬ「不安」を感じていた。

「・・・ところで吉田さん、今日は何か話しがあったのでは?」

「うん、まあ、顔も見たくて来たんだけどね・・」

吉田の歯切れは悪かった。
正直、もう下らない世間話しをするネタも尽きてきた。

「そうですか、いや、吉田さんがここに入るのに、やけに周りをキョロキョロとしてるので、何かあったのかな?と」


吉田はギョッとしたように目を見開いたが、すぐに元に戻った。
普段は細い柔和なまなじりだが、カッと見開き、元の表情に戻る吉田に不気味なものを感じた。

「何かお困りのことがあるなら、私で良ければ相談に乗りますが?」

「・・・・実はな、最近何かおかしいんだ。・・尾行されているような気がするんだ。・・」

「誰に?」

「わからん・・・。」

4月9日の日記

2004年4月9日
久しぶりの更新だ。

企業ハッキングの話しは、社内処分者や刑事事件に発展したため、書けなくなってしまった。

それも仕方のない話だ。

私は今まで、とあるコミュニティサイトの中に居た。

「コミュニティサイト」とは何か?

簡単に言えば、MSNやyahooのchatサイトに、会員内しか閲覧や書き込みができない「マイホームページ」があるサイトのことだ。

会員数は100万人というのだから、ちょっとした「街」ではある。

そこには「匿名・性別年齢不詳・容姿不明」という現実と
切り離された「仮想空間」の中で、肉体の束縛を解かれた人々が
毎夜孤独を埋める為に、徘徊をする『バーチャルシティ』があった。

私は、そこで奇妙な依頼を受けた。

−−−−−−−

2004年4月8日
          

     

2004年4月7日
      
M田氏が、そのメモ書きに気が付いたのは梅雨の上がった7月の中旬だった。
書類や販促の景品などで、散らかり放題のデスクの端のほうに、書類に貼り付けてある少し大きめの付箋が目に入った。
その付箋には銀色のインクの油性マジックペンで、URLが書かれてあった。
M田氏は何気なく、その付箋を眺め、見覚えのないURLの正体を確かめるべく、パソコンにアドレスを打った。

そのURLのサイトには顧客名簿のような表が表示された。そして、その情報の中にはアンケートの回答内容などもあった。それらはM田氏記憶の中にひっかかるものがあった。
M田氏は個人情報のリストを読み進むにつれて、脇の下に冷たい汗が流れ落ちた。


それは、M田氏が担当している携帯電話会社の懸賞キャンペーンの応募者のデータであった。

「顧客情報の漏洩」、

M田氏はあまり衝撃の為、軽い目眩を覚えた。。

(1339)
日記の更新を止めて、一月半ほど経つのだろうか。

あの話は数年前の話である。
今となっては、過去の記憶の整理と考えてもらっていい。


私は相変わらず、気ままな一人身の生活を送っている。
別に出会いがない訳ではない。
日本で2番目に大きい都市で暮らしているのだから、刺激のある生活も送ろうと思えばできる。

しかし、私の生活は、まるで森の中で一人静かに暮らしている隠者のようだ。
必要最低限の人との接触以外、まったく関わらない。
心穏やかな生活と言えば聞こえはいいが、生きていることを忘れてしまうほど変化に乏しい。
基本的な仕事のやり取りは全てメールやチャットで済ますことが増えていることも原因に関与しているが、『人を避ける』という癖がついたのかもしれない。

やはりあの一件以来、『人の本性』というものの根源が『闇』に包まれていると感じてからかもしれない。


今日は大手広告代理店の営業担当と打ち合わせをする約束があった。
彼は電話やメールでのやり取りでの打ち合わせを好まない。顔を見ながらでないと落ち着かないようだ。私と年は変わらないが前時代的な感覚の持ち主だった。
私の事務所で会いたいということだったので、久しぶり整理と掃除をはじめた。


部屋の真ん中のソファーテーブルには、吸殻で山になった灰皿からゴミがこぼれ、床にはビールの空き缶や、ピーナッツの皮が散乱している。
窓を開け、私はそれらをゴミ袋にほり込みながら、モップで床を研いた。
北向きの窓から乾いた、少し冷えた風が吹き込んだ。
私の心と同様の澱んだ部屋の空気も少し爽やかにものに変わった。

私は窓に身を乗り出し、外の景色を眺めた。
私の居る、この古びたテナントビルからは広告代理店の巨大で威圧的なビルから500mほどの距離がある。
打ち合わせで何回か中には入ったことがあるが、やはり世界に名立たる広告代理店【D通】だ。贅沢なフロアーだった記憶がある。

穏やかな秋空の下、広告代理店の担当者【M田】氏が足早に歩いていた。
予定の時間より10分ほど早い。
私は残りを慌てて片付け、手を洗っていると彼が現れた。

「やあ、今日は無理行って押し掛けて、悪かったね。」

「いえ、かまいませんよ、M田さん」

「いや、実は社内では話せない、内密の相談があるんだ。」

「そうですか、まあ 立ち話もなんですから、座って話しましょう。コーヒーは砂糖1つでしたよね?」

M田氏は挨拶そこそこにテーブルに付いたので、私はコーヒーをカップに注いだ。

「で、 M田さん、内密の話とはなんですか?」

「うん、どこから説明したらいいんだろう。。とりあえず、最初から話したほうがいいのかな。。」

M田氏は、なんとも合点がいかないという顔つきで、私に説明を始めた。
(1264)

.......

2003年9月24日








..............

2003年9月23日








...............

2003年9月22日









あれから 半年経った。
私の中で、あの日の出来事は未だに拭えない汚点として、思い出すたび体中を切り刻みたい衝動に駆られる。

彼女とも連絡を取っていない。
あれから恐らく彼らは離婚しただろう。
私には彼女と連絡の取りようが無い。
ネットにも現れなくなった。
今はサイトをチェックすることも諦めた。
私は「あけち」のハンドルを削除した。


ゆきおは会社を退職したらしい。
田舎に帰ったと伝え聞いたが、どうでも良かった。
ただ、彼は私も彼らの汚物の感情に引きずり込んで、何がしたかったのか、最近ふと考えることがある。

もし、最初から彼に全て正直に話していたら、彼は満足し、私を引きずり込むようなことを考えなかったのだろうか?

もし、あのまま彼女と接触を持たなかったら、私は彼女に好意を寄せることはなかったのだろうか?

ゆきおはこのことを全て想定して仕組んだのだろうか?

彼女と偶然出会ったら、私はどうしたらいいのだろうか?
街で彼女に似た後姿を見かけると、追いかけるべきか、このまま去るべきか、いつも迷う。
私の存在は、彼女の人生の汚点を思い出させることである。
彼女が新しい人生を生きていくと決心したのであれば、私は絶対に彼女の前に現れてはいけない。

私は、いつまで、ゆきおにかけられた呪いに苦しめられるのだろうか。


−−−−−−−−−−−−−

これで全て終わりです。

もし、あなたが読んだくれたら、私の感情をくみ取ってください。

私はあなたの幸せを願うだけでは、満足できなくなりました。


探偵日記 「喪失」

2003年7月13日
リビングには、彼女のすすり泣く声だけが響いていた。
私は立ったまま、自分を失っていた。
ゆきおは笑い転げていた姿のまま、床に座り込んで、項垂れていた。

私たちは、それぞれが別の思枠の中でここ数週間動き、そして破綻した。
これがゆきおが望んだシナリオだったのだろうか。

「ゆきお、お前の望んだ結果か、これが」

ゆきおは押し黙ったまま、のろのろとソファーに戻った。

「お前が気に入らなかったんだよ。社会の落ちこぼれのお前が、自由気ままに生きてんのが!
そのお前の話をすると、嬉しそうにする妻の様子がモット気に入らないんだよ!
サラリーマンとして真面目がんばってる俺より!お前がいいなんて!、、許せるか!」

私はゆきおのコールタールのような憎悪を感じた。彼のエリート意識は今までも感じていたが、それは事実のことだったので、私はそれでいいと思っていた。
そういう態度も気に入らなかったのかもしれない。ゆきおは私にコンプレックスをもってもらいたかったのかもしれない。私にはわからないし、知りたくも無い。

「お前、何がしたいんだ。。俺たちお互いの汚い部分をほじくり出して、それで満足か?」

「この女はな!最初から俺のことなんてどうでも良かったんだよ!エリートだったら誰でも良かったんだよ!子供も家庭もいらなくて!自分さえ良かったらいいだよ!」

「違う!そんなんじゃない!」

私には夫婦の間で起った積み重ねが、今のゆきおの発言になったのかは、わからない。
ただ、ゆきおに相談なく中絶されたことは原因の一つだったのかもしれない。
ゆきおの病的なエリート意識は、夫婦間の中にも優劣を必要としていたのかもしれない。
私にはわからない。
わかりたくもない。

私は、これ以上ここに居たくなかった。
しかし、彼女一人置いていく訳には行かない。
彼らが修復できない関係であることは明らかである。また、このままだと、ゆきおの病的な言葉の暴力で、彼女がおかしくなることは明白だ。
私は彼女を連れ出そうと思った。
しかし、私と彼女の間に大きなシコリがあることも事実であり、それを無視できるような心の余裕はなかった。
私は携帯でタクシーを呼び、彼女にどこか友人宅に行くように勧めた。
タクシーはほどなく到着し、彼女は逃げるように去っていった。

私は呆然としているゆきおを見た。

先ほどの炎のような怒りは治まった。
私はゆきおに、

「帰るよ、じゃあな。」

「待てよ、・・お前らの自由にさせない。。」

私は、ゆきおに振り返ることなく、その場を去った。
私たちは、ゆきおに自分の汚ない部分を見せ付けられ、大人の尊厳を剥ぎ取られた。
もう、お互いに会えることもないだろう。それがゆきおには理解できないのだろうか、いや、ゆきおはわかっていたから、こんなことをしたのか、誰も何も説明してくれないまま、全てが終わったような気がした。

探偵日記 「濁流」

2003年7月12日
私は、本当の私の気持ちを整理した。

私は彼らが離婚することを、密かに望んでいたのだろうか。
私は彼女に、淡い感情を持っていたのか。
私はどうしたいのか。

私は彼女と接触していく上で、何かが大きくなっていたのだ。
彼女の淫猥な姿をネットで見ながら、私もその参加者と同じように彼女を「犯して」いたのだ。興奮していたことは事実だった。

私は他の者より、彼女の姿を知っている。
だから、彼女が余計に淫靡に見えた。
私は、彼女を「欲している」ことを、きれい事を並べて、偽ってきた。

私は自分の欲望を認識し、それを隠して彼女に会った。彼女に知られたくなかった。
そして、彼女が欲しかった。

私は、ネットにアクセスし、彼女が現れることを待った。
ここ数日、彼女はアクセスしてなかったようだ。
今日もダメかと諦めていたら、彼女からCHATの申し入れがあった。

私は彼女のCHATの個室部屋に入った。
そこには、彼女と、見知らぬハンドル名の人物がいた。
私は、その人物は誰かと聞いた。
しかし、彼は友人と名乗っただけだった。
私は彼女の浮気相手かと思い、大きく失望した。
そして、その人物は「仲裁者である」と言った。
私は彼女と揉めていないことを告げ、何の為に呼び出されたかを尋ねた。
彼女は真実を話したいと言った。
私は了解した。
彼女は今までの夫婦の状態を話し、そしてネットでの彼女の様子を簡単に説明していた。そして私にその内容で問題無いかと尋ねた。
そして私はそれが真実であることを保証した。
仲裁者と名乗る者が、なぜゆきおに話さなかったかと私に尋ねた。
私は、こんなことは浮気ではなく、単なる遊びだと話し、夫婦の間に余計な亀裂を作りたくないことを話した。また、彼女の幸せを願っていたことは事実だった。

仲裁者は一旦理解したと述べた。
私は仲裁者と名乗る者に尋問を受けているような気分になり、不愉快な感情がふつふつと湧いてきた。
しかし、その者から突然のカウンターのような質問に、

「あなたは彼女に好意があるのではないか?」

私は背筋に冷水をかけられたような気がした。
彼女に私の感情が知られていたような気になり、羞恥心で体が燃えるような思いがした。

そして、仲裁者に対して激しい怒りが湧き上がり、

「あなたは誰ですか?なぜそんな質問をするのですか?何の権限があって、私に尋問をするのですか?」

とぶつけた。

「俺はゆきおだ」

仲裁者の言葉は、私に新たな今までより大きい怒りを湧き上がらせた。

「お前はおかしい!気違いじゃないか!こんなことをして、何が楽しい!」

「今どこにいる!直接会ってぶん殴ってやる!」

私はあらゆる悪態をついてやったが、ゆきおは冷静に彼の自宅に来いと言った。

私は車を走らせながら、じょじょに冷静に考え始めた。今回の行為はゆきおだけでなく、彼女も加担しないと成立しない。
ということは彼女も理解した上での行為と認識し、どういう話が成されるかを考えてみたが、まったく理解できなかった。
混乱した思考のまま、彼らの家に着いた。

インターホンを鳴らすと彼女が玄関まで出て、私を招き入れた。
彼女は青白い表情で、ただ一言「すいません」とつぶやいた。
彼女の哀れな姿を見て、私はゆきおに対して新たな怒りを感じた。

ゆきおはリビングに居た。
無表情な顔からは、彼の感情を何も知りえなかった。

私は黙ってソファーに腰を下ろした。
そして、ゆきおから話し出すことを待った。

「最初、お前じゃないかと疑っていたが、お前に話を持っていったときは、その疑いは晴れていたのさ」

私は突然の内容に、言葉が出なかった。「なぜ?」「なら、なぜ?」という言葉は私の中で言葉より大きくなり、怒りとなり、ゆきおの顔に私のコブシが飛んだ。
普段からジムに通い、体を鍛えている私の鉄拳で、ゆきおは椅子ごと倒れた。
彼女は悲鳴を上げ、私の体を押さえた。
私もいつまでも起き上がらないゆきおを見て、少し不安になった。
しかし、ゆきおはのろのろと立ち上がり、へらへらとした薄笑いを浮かべていた。
口の端を切り、鼻血を流しながら、緩んだ口元で薄笑いを浮かべてはいたが、目は笑っていなかった。
私の怒りはその目を見て、急速に冷えていった。

彼女がティッシュペーパーでゆきおの顔を拭こうとしたが、それを乱暴に振り払い、自分で顔を拭き出した。
私は黙ってその様子を見ていた。

「何がしたい、お前は?」

私はゆきおに尋ねた。

『なぜ』という疑問に対して、答えが返ってくる相手には感じられなかった。正気の沙汰とは思えない行動だった。

「俺はな、妻が何をしていたかを、全て知ってるんだよ。興信所に頼んで、ここに隠しカメラも仕込んだんだよ。どんな通信してたかも最初から知ってたんだよ。」

「お前は気違いだ!覗き趣味の胸糞の悪いクズヤローだよ!」

「覗きはお前も一緒だよ、ゆかの行動を覗きながら興奮してたんじゃないか」

私はまたもや、暴力の衝動を覚えたが、彼がペースに乗ることに嫌悪を感じ、押さえ込んだ。

「で、何のようだ。何が言いたい。」

「この女はな、」

「止めて!!」

「この汚らしい女はな!ネットしながら汚らしいことをしてたんだよ!」

「やめてよ!言わないって約束したじゃない!だから協力したのよ!」

「ははは!スベタのくせに恥ずかしいのか!」

私は今度は暴力の衝動を抑えきれず、思わずまたゆきおの胸倉を掴んだ、

「こいつはイクときにお前の名前を叫ぶんだよ!」

「いやーーーー!やめて!」

「はははは!ひゃっははは!」

私は言葉を失い、怒りも凍りついた。
そして、ゆきおは、

「お前もだよ!こいつのネットオナニーショーで何回抜いたんだ!お前がパソコンの前で抜いてる写真もあるぜ!」

私は、はっと彼女を見つめた。
私は彼女が欲しかった。
そして、自慰にふけった。

それが彼女に知られてしまった。
私は眩暈のような衝動に立ち尽くした。
ゆきおは気違いのように笑い転げ、

「・・ひゃっひゃひゃ、俺はいったい何なんだ!はーっはっは・・・」

私は互いに自分達の「汚物のような感情」をぶつけ合いながら、奈落の底に落ちていった。



探偵日記 「回想」

2003年7月11日
随分と時間が空いてしまった。
このメモは元々、昨年の私の行動の回想である。

私は誰かに話して、楽になりたいだけなのである。
そう、これは私の自慰行為なのである。だから醜く、汚らしいと誰かに罵倒されたいのである。


私は彼女に、彼女の名を告げた。
彼女はアクセスを切った。

私は畳み掛けるように、彼女に電話をかけた。
呼び出し音を10回鳴らしても、受話器は上がらなかった。
私は、異様な興奮で、血液が体中をめぐる感覚を感じた。
15回鳴らした後、彼女は受話器に出た。
受話はされたが、何も声は発せられなかった。
私は自分の名を告げた。
彼女の安堵のため息が聞こえた。
しかし、私は彼女をまた、恐怖のどん底に陥れた。
「私が『あけち』です」

彼女の息を呑む音が聞こえた。
私は、会って話がしたい、そして彼には内緒で会いたいと伝えた。

彼女は明日なら良いと応えた。
翌日、私は喫茶店で彼女に会った。
何から話すか、私は決めて来たのだが、彼女の不安げな青い顔を見た時に、自分の行っている行為が何の為にしていることなのか、わからなくなった。
『ゆきおのためなのか?彼女のためなのか?』
私たちは店内で沈黙のまま、過ごした。

口火を切ったのは彼女だった。

「なぜ、あなたが私をご存知だったのですか」
私は彼女の顔を見つめ、ゆきおに頼まれて調査していることを告げた。

「では、主人は私のことを知っているのでしょうか」
私はまだ告げていないことを伝えた。

「なぜですか?」
彼女は不安げな表情で見つめた。いや、何か喜びと不安と羞恥が入り混じったような、一つの感情の表情ではなかったような気がした。

「ゆきおは私とあなたとの間で、関係があったと疑い、そして私に調査を依頼したのです。
そして、私が何もないと報告したことで、疑惑を深めたのです。」
彼女は私の次の言葉を待った。
私は言うべきか、迷っているゆきおの無精子症のことを切り出すことを決心した。

「ゆきおには子供を作る能力はありません」

彼女に驚愕の表情が、走った。
言葉を続けられず、彼女の動揺が収まるまで、私たちには沈黙が流れた。

「相手は誰だったのですか」
彼女は俯き、項垂れ、そして、何も話さなかった。

「私がなぜ、ゆきおに疑われたのですか?」
私は、私の疑問をぶつけた。
やはり、彼女は沈黙したままだった。
そして、
「ご迷惑をおかけしました」
と一言、つぶやいた。

私は場所を変えて話したほうが良いと思い、出ることを話した彼女は黙って頷いた。


私たちは近くの公園まで、黙って歩いた。


「お相手が誰か、ということは私には関係のない話です。言いたくなければ、言わなくても結構です。しかし、なぜ私に疑惑を向けられたのかは、お話いただけませんか?」

私はベンチに座り、彼女にも座るように勧めた。
しばらく沈黙があった。
「私はあなたからお聞きした話をゆきおに話すつもりはありません。」


「主人から、離婚の話はありました。何も言わず、用紙を渡されたとき、『ああ、やっぱり来た』と思って、ショックではありませんでした」

私はベンチのへりを見つめ、彼女の言葉を待った。そして彼女の言葉を待った。

「流産したのは、あの人の子供です。無精子症というのも嘘です。あなたの様子を見たかったのでしょう。」

私は頭に一撃を喰らったような、驚きを覚えた。
何が真実で何が嘘なのか、わからなくなった。

「あなたは、なぜ主人に話をされなかったのですか」

私に彼女から疑問がぶつけられた。


彼女は何かを待っている表情で私を見つめた。
私は自分がなぜ、彼女の行為をゆきおに告げず、彼女の生活を守ろうとしたのか、本当はわかっている。

私は彼女に好意を抱いていた。

しかし、それは彼も彼女も知らないことだ。
私も今回の件が無ければ、はっきりと認識できなかったことだ。

私は彼女を見つめた。
そして、
「あなた達のような幸せそうに見えたご夫婦を、守りたかったからです。私のような落伍者からは、あなたの幸せな姿は眩しいのです。」

彼女の目が微かに潤んだ。
彼女にどういう感情が流れたかは、私にはわからない。
私の密かな感情は彼女に伝わったのだろうか、私は伝わってほしい感情と、知られたくない感情で、大きく揺れた。

私は、結局何も知りえなく、また疑問を増やして別れた。
散らかった事務所のソファーに寝転びながら、私は昨夜のゆきおとの会話を思い返していた。
事実を整理し、時系列の順に考えてみたが、私が彼ら夫婦の不仲の原因になる可能性が全く無かった。
なぜ私に浮気の嫌疑がかかったのか、また、その嫌疑は晴れたのか、昨夜のゆきおの態度ではわからなかった。
ただ一つはっきりしていることは、「私の知らない」私のことが夫婦の中にあることが考えられた。
ゆきおを問い質しても、何も話さないことは予測できた。
私はゆりこから聞き出すしかないと思ったが、何から話を切り出すか、迷っていた。
しかし、考えても答えは出てこない。

私はネットのゆりこのハンドル「B」に、接触を試みることを決めた。
ゆりこはいつもCHAT部屋で、大人しく会話をしていた。先ほどまで「A」のハンドルでいかがわしいCHATをしていた女性とは思えない。
私は彼女と二人きりになる機会を待った。

他のメンバーがCHAT部屋から落ちた。
私は部屋を非公開設定にし、誰も他の人がはいれないように閉めた。
そして、私は予め決めていた行動を起こした。
私は手に汗をかいてきた。緊張しているのかもしれない。

「・・・・あなたは『A』さんではないですか」

ゆりこからの返事はなかった。とぼける余裕もないくらい驚いているのかもしれない。得体のしれない人物「あけち」に対して恐怖を感じているのかもしれない。私の鼓動も早鐘のように鳴っている。私は畳み掛けるように、

「私はあなたが誰かも知っています」
ゆきおが無精子症の治療を続けて1年が経ったことを私に話し出した。そして治療が全く進んでいないことも告白した。


私はそのことと、ゆりこへの疑惑がリンクする過程が理解できなかった。
しかし、ゆきおの次の言葉は衝撃が走った。

「ゆりこは半年前に流産している。」
「俺には、ほぼ100%精子が無い。」

ゆきおは検査結果をゆりこに知らせず、今も隠していた。また、ゆりこも流産するまで妊娠に気が付かなかったらしい。
私はゆりこが妊娠に気付かず、流産してから事実を知ったということに、引っかかるものを感じた。

私は、ゆきおに「そこまでわかっているなら、なぜ彼女と話をしないか」と尋ねた。
しかし、ゆきおの返事は私が想像もしない言葉だった。

「俺はお前が相手だと思っていた。」

私はゆきおを見た。
しかし、ゆきおの感情うかがえなかった。

「だから、今までお前の様子を伺っていたのさ。」


私は、なぜ自分が疑われるのか理解できず、言葉を失った。

ゆりこの不可解な行動、ゆきおのどす黒い嫌疑。私は疑問の渦の中、ゆきおに尋ねた。

「なぜ?なんで俺を疑う?」

ゆきおは、応えなかった。グラスの氷を指で掻き回しながら、一気にあおった。

「子を作れない男が、作れない事実を妻に隠し、妻が不貞の子を宿す、俺はピエロさ。俺たちは、、、
既に半年前に終わっていたんだ。」
私は、パッケージから"PhilipMorris"を引き抜き、火をつけた。
そしてゆきおにタバコを勧めた。

「お前、禁煙してたんだっけ。治療の為か?
一本ぐらい吸えよ。もういいだろ。」

ゆきおはパッケージから1本引き抜き、口に咥えた。私はライターで火をつけてやった。
ゆきおは、大きく吸い込み、そして煙をはいた。

「軽いタバコだな。俺の存在と同じくらい軽い。
妻から見た俺はこのタバコと同じくらい軽い存在なのかな。フフフ」

自嘲気味の悪いジョークに、私は何も言えず、ただ煙をみつめるしかなかった。ゆきおの表情を見ることができなかった。

私は苦笑交じりでゆきおに尋ねた。

「それで、俺の疑いは晴れたのかい?」

ゆきおは相変わらず、感情が読めない表情で応えた。

「ああ、どうでもよくなってきた。」

「お前ら、離婚、、する気か?」

「・・・・そのつもりだ。今週末にはゆりこには話そうと思っている。」


私たちは、黙ってグラスを空け続けた。そして4杯目のオンザロックを空けて、別れた。

ゆきおは一人で夜の街に繰り出して行ったのだろうか。
私はバーを去っていく友に、声をかけることができなかった。
なぜなら、彼の疑惑の中に、私も含まれていたから。

探偵日記 「原因」

2003年5月30日
ゆきおといつもバーで会った。
ゆきおにはゆりこのBの姿は未だ報告していない。
できれば、Bのことは話したくなかった。

ゆきおは私に調査の進捗を尋ねる訳でもなく、何か物憂げな感じでキスチョコを摘んでいた。

私から話を切り出さないといけない状況だった。
私は「何もみつからない」と短く報告し、
「こんなバカなことは辞めないか」と話した。
ゆきおは、
「お前にまだ、こんなことになった原因を話してなかったな。」

彼ら夫婦には子供が無かった。
原因はゆきおにあった。
はっきりと無精子症とわかったのは1年前だった。



探偵日記 「記憶」

2003年5月26日
私がゆりこと親しく話したのは、友人の結婚式の2次会であった。

ゆきおとゆりこは夫婦で出席し、その際に彼女を紹介された。
初対面の印象は色の白い大人しい女性でしかなかった。ワインで少し赤みがかった顔で品良くゆきおに微笑んでいた記憶がある。
ゆりこは薄化粧で肌が美しいこともあり、20代前半に見えなくもなかったが、既に30前ぐらいだった。
私たちのテーブルに二十歳ぐらいの長髪の今風の若者がやってきて、それとなくゆりこを口説きはじめた。私とゆきおは十も年の離れた若者に口説かれて、赤い顔をして困っているゆりこを二人でからかい半分で見物し、また笑いをかみ殺していた。
しばらくして、私から助け舟をだした。「ご主人の前で人妻を口説くなんて、なかなかいい度胸だ」と注意すると驚いたように去っていった。
ゆりこはいつまでも助けに来ないゆきおに少し怒ったように拗ねてみせていた。
ゆきおと私は顔を見合わせて大笑いし、ゆりこも笑った。
その日、私たちは大いに飲み明かした。


あれから数年経った。

今では、お互いに相手を疑い、恐れ、絶望する関係になってしまった。

人はお互いにいいところだけを見て生きていけないのだろうか。

明日、私はゆきおと会わなくてはいけない約束があった。
ゆきおから携帯に連絡があった。

どのように報告するか、まだ決めかねていた。
下手に誤解を招くことでも言えば、彼らの夫婦間に微妙な亀裂を生むかもしれない。
現にゆきおの心には、澱んだヘドロのような猜疑心がある。
その猜疑心を煽るような真似はしたくなかった。
しかし、半月もかけて結果がないでは、かえっておかしい。

彼女がCHATをしていることはゆきおも知っていることだから、私は差しさわりのない「B」のハンドルネームの存在を伝えた。
Bは素の彼女と同じ姿をしている。
実年齢と専業主婦であることを明言し、取り立てて目立ちもせず、CHATの他のメンバーと差しさわりの無い会話で盛り上がる、普通の主婦としてのCHATだ。
ゆきおはそのハンドルネームで「男」と連絡を取り合っていると疑っているようだった。私はCHAT部屋での会話や他のメンバーの証言などの会話ログをメールで送り、何も無いことを伝えた。


しかし、「A」の存在は彼には伝えられなかった。
なぜ、彼女がこのような破廉恥なキャラを演じているのか、理解できなかったからだ。
「A」は私の知る「ゆりこ」の姿ではなかった。


下品な言葉の言い回し、猥褻なジョーク、白痴的な顔文字、狂ったような笑い文字がモニタに垂れ流される。
そこに群がる男たちは、剥き出しの欲望を彼女にぶつける。嬌声のような言葉とうめきのような言葉がモニタを埋め尽くす。
あまりの激しい内容にキーボードの手が止まり、CHATの言葉の渦の中、彼女が大勢の男たちに犯されていくような錯覚に襲われ、思わずアクセスを切った。


 「これ」は本当にゆりこなのか?
  普段の貞淑な姿は「仮初め」のものなのか?

疑問は私の中で大きく膨れていった。
「A」を、ありのまま伝えれば、私よりゆきおが混乱することは明白だ。
下手をすれば、彼女に問いただしかねない。
普段の彼女の姿から、「主婦の欲求不満の捌け口」と一笑に伏すことができなかった。
また、ゆきおに「A」の存在を知られた場合の、彼女のことが、私には想像がつかなかった。
私はゆきおに「A」の存在を隠すことにした。


私の説明に、ゆきおは納得しなかった。
今後も継続的に調査を続けてほしい旨と、プロトコルアナライザーによるデータの収集も続けてほしいと言った。
私はこれ以上の結果が出ない可能性と、多忙であることを理由に彼の申し出を断った。
しかし、本当の理由は、「覗き」をしていることの罪悪感と、自分が卑しい「覗き屋」として、ゆりこに「発見」されることが怖かったからだ。

ゆきおは執拗に継続を申し出て、「友人の頼み」ではなく、「仕事」として調査を依頼してきた。
私はゆきおの勢いに圧され、断ることもできず、あいまいな返事をするしかなかった。
なぜなら、ゆきおに全てを伝えていないことに、私は小さな罪悪感を感じ始めていたからだ。


私は携帯を切り、タバコを一服した。
いつもより苦々しく感じながらも二本ほど灰にした。

私は「誰」の為に行動してるのか、目的を見失いかけている自分に気がついた。
私は友人の妻を、これからはこの中で「ゆりこ」(仮名)とし、友人を「ゆきお」と呼ぶ事にした。

ゆりこの今日の足取りは掴めなかった。
AもBのハンドルネームもCHATの検索にかからなかった。今日はインターネットをしていないのであろう。きっとCHATばかりもしてられないのだろう。

余談ではあるが、この私の日記をお気に入りにしてくれた人ができた。
私の日記は、私がゆりこに犯している罪に対しての良心の呵責を、少しでも和らげるつもりで書いている。
だからといって、これで許されるとも思っていないし、誰にも私の行動への理解は得られないと思っている。

この日記をお気に入りに入れていただいた方はどのようなお気持ちで登録されたのだろう?
いくら友人の頼みとはいえ、私のしている行為は、「覗き趣味」の汚らしい行為に過ぎないことは、わかっている。
もし、これをお読みになられたら、もう一度再考されることお勧めする。
なぜなら、私のような日記に関われば、あなたの品性を汚してしまうことになる。

しかし、その方の日記を読んだが、女性の浮気の心理を書き綴られている。
「男性は同時にいくつもの恋ができるが、女性は一人しか愛せない」と昔、聞いたことがある。
現実には、そうでもない女性が多くいる。

その方の日記には、なぜ「二つの恋」ができるのか、女性の心理のメカニズムを説明している。現代の女性の心がウッスラと理解できる気がする。


読んでの感想は、結局、人は寂しい心を他人で生めることができないのではないだろうか。ゆりこも心に空いた穴を夫で埋められなくて、温もりを求めているのかな。そんな他愛の無い雑考が浮かんだ。。

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